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「マルタもマリアも」(2020年9月13日(日)主日礼拝)

2020年9月13日(日)の主日礼拝説き明かしの原稿とライブ録画を公開しました。「マルタもマリアも」というタイトルで、聖書の箇所はルカによる福音書10章38-43節(マルタとマリア)。
ともすれば、食事などの奉仕よりも、御言葉を聞くことが大事なのだというように、伝統的な解釈では教えられるのですが、実際にはマルタもマリアも比べることのできない、対等な奉仕者だったのではないだろうか、というお話です。
ご関心をお持ちの方は、どうぞご覧ください。
「神なしでは救われないか」(2020年9月6日(日))

2020年9月6日(日)主日礼拝のメッセージ「神なしでは救われないか」を公開しました。聖書の箇所はマタイによる福音書4章1-4節(人はパンだけで生きるのではない)です。原稿とライブ録画の両方がありますので、お読みいただいたり、ご覧いただければ幸いです。
写真はイスラエルのクムラン教団の遺跡です。イエスが最初に師事した洗礼者ヨハネの教団は、このような砂漠で活動していたようです。
「いつかはあなたもわかるだろう」(2020年8月30日(日)主日礼拝)

2020年8月30日の主日礼拝メッセージの原稿とライブ録画を公開しました。
「いつかはあなたもわかるだろう」(聖書:ヨハネによる福音書13章1-11節(イエス、弟子たちの足を洗う))というタイトルで、イエスがまず私たちに仕えて愛してくださったことと、私たちが互いに仕え合うことの意義を覚えました。
よろしければご覧ください。
「神に逆らってでもあなたを癒したい」(2020年8月2日(日))

2020年8月2日(日)の礼拝メッセージを公開しました。「神に逆らってでもあなたを癒したい」。聖書の箇所は、新約聖書のマルコによる福音書2章1-12節(中風の人を癒す)です。
2000年前、病気や障害は神の罰か、あるいは汚れた霊や悪霊が取り付いたせいだと考えられていました。そして、神の罰の場合、神が赦さない限り、治癒することはありえません。
このような病人に対して、イエスが罪の赦しを宣言し、病人を癒そうとしたとき、同時代の律法学者たちは、これは神に対する冒瀆でした。神が「罪だ」と判断して与えた「罰」を勝手に免除するというのは、神の意志に対する反逆であると思われたからです。
しかし、イエスはたとえ神に反逆しているとされたとしても、人間には罪を赦す権威を持っているのだと宣言しました。当時としては考えられないほどの人間中心主義者、人間賛美者と言えるでしょう。
ご興味をお持ちの方は、本文をお読みになるか、動画をご覧ください。