最新のお知らせ
メッセージ「キリスト教の『異端』について」(2020年1月26日)
2020年1月26日(日)の礼拝メッセージ「キリスト教の『異端』について」を投稿しました。これは元々当日の礼拝では「犬も食わない夫婦の喧嘩」と題して話されたものですが、誤解を与えるタイトルであったため、訂正して投稿しました。内容は、キリスト教の「異端」について、どのように私たちは考えるべきかについて、ひとつの考え方を提供させていただきました。もしよろしければ、お読みいただくか、お聴きいただければ幸いです。
礼拝のご案内(2020年1月26日)
次の日曜日、2020年1月26日(日)の礼拝は、いつも通り午前10時半から徳島北教会の礼拝堂で行われます。
お話のタイトルは「犬も食わない夫婦の喧嘩」。題名からはちょっとわかりにくいですが、キリスト教のいわゆる「異端」の問題についてお話をする予定です。ご興味をお持ちの方はぜひ教会へおいでください。聖書の箇所は、新約聖書の使徒言行録5章33-42節です。
この日の礼拝では聖餐式が行われます。また、礼拝後には愛餐会が持たれ、みんなで美味しいお昼ご飯を食べながらおしゃべりする予定です。どうぞ教会へおいでください。
下世話なQ&A「教会を移りたいと言ったら『洗礼を取り消す』と言われました。そんなことできるんですか?
連投ですが、下世話なQ&Aのコーナーに「教会を移りたいと言ったら『洗礼を取り消す』と言われました。そんなことできるんですか?」という項目を投稿しました。実際に昨年あったケースをもとに構成しました。この件は『キリスト新聞』にも投稿があり、Twitter界隈でも一時期話題になりました。ご参考になれば幸いです。
下世話なQ&A「『赦しなさい』と言われても、赦せなくて困っています」
牧師のホームページにあります『キリスト教 下世話なQ&Aのコーナー』に新項目「『赦しなさい』と言われても、赦せなくて困っています」を投稿しました。
聖書には「七の七十倍までも赦しなさい」というイエス・キリストの言葉があり、これを「無限に赦しなさい」という意味に解釈して、「もし人に罪を犯されても、どこまでも赦しなさい」と教会の牧師さんなどに教えられて苦しんでいる人が実はたくさんいます。
果たして、私たちは自分に被害を与えた人を無限に赦さなくてはならないのでしょうか。赦さなければ自分が地獄に落とされてしまうのでしょうか。そのあたりをちょっと考えてみましたので、もしよろしければお読みください。
メッセージ「一点の曇りもない生き方に憧れて」
2020年1月12日(日)徳島北教会の新年礼拝のメッセージ」「一点の曇りもない生き方に憧れて」を投稿しました。聖書の箇所は新約聖書ヨハネの手紙(一)1章5−10節「神には光しかない」です。
人生に一点のシミも無いような人間はいませんが、神様は全てのことをお見通しです。じたばたと隠すのではなく、曇りの無い思いで神様の赦しを受け入れて、のびのびと生きたらどうだろう、という提案です。
尹東柱の詩と新島襄の遺言にも触れて、語らせていただいています。